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024:日本を代表するラグビーチームの“育ての親”と大村智先生(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2015/11/09

今話題の二つの話がこんなところで結びつくというエピソードをご紹介しようと思います。

ラグビー

今回は、今、日本中を沸かせているラグビーの話から書きます。 再三再四、報道されているように、今回のラグビー ワールドカップ(以下、W杯と略)の予選で3勝しました。これまでのW杯では、24年前にジンバブエに1回勝っただけなので、今回の3勝は凄いことなのです。
サッカーでは「まぐれ」で勝ってしまうこともままあります。天皇杯で、J1のチームが、J2やJ3、JFL、大学生チーム相手に負けたことが、結構、たくさんあります。J1よりJ2へ一度も陥落したことのない横浜Fマリノスですら市立船橋高校に延長戦の末、PKでようやく勝ったことがあります。2003年のことです。憶えている方もいるかと。それくらい、サッカーでは1回勝負なら、「まぐれ」を生じることがあります。サッカーはゴールが小さく、極端なことをいえば、ゴール前を10人で固めれば、なかなか失点もありません。

一方、ラグビーのゴールはゴールライン全体です。ですから防御は簡単ではありません。ちょっと油断するとすぐに点を取られます。しかも格闘技の要素がふんだんにある競技ですから、極めて「まぐれ勝ち」が少ない競技です。
実は私は、大学時代にラグビーをやっていました。ラグビー競技経験者ならすぐにわかるのですが、最初のキックでのタックルやボール回し、タックルに行ったときの当たり具合(倒れ具合、倒し具合)、スクラムの強さで勝ち負けがだいたいわかって(感じて)しまいます。始まって5分もするとだいたいの勝ち負けが悟れる、そういう競技なのです。

1987年から始まったラグビーのW杯で日本は、幸いアジア各国がサッカーほどには強くないため、毎回出場しています。しかし、上述の如く、1回しか勝ったことがありませんでした。引き分けも二度あっただけです。それも消化試合です。1995年の対ニュージーランドオールブラックス戦では 4-106 と歴史的な大敗と最多失点記録を作っているくらいです。しかも、この時のオールブラックスは2軍でした。1軍ならば200点を超える失点になったかもしれません。

全くレベルの違う話で強縮ですが、私の大学時代、大抵の試合相手は他大学医学部のラグビー部でした(医科大学のみで構成される連盟組織があります)。ですから、力はある程度均衡しており、そんなに点差が開きません。
ところが4年生の時のことでした。我々もラグビー合宿のメッカの一つである山中湖で、合宿をしました。夜になると、色々な大学のラグビー部の選手やマネージャーが、あるスポーツ用品店に集まり、情報交換や練習試合を組みます。皆、普通の体育会の強いチームばかりです。医学部のラグビー部のことは、どのチームも相手にしてくれませんでした。しかし、筑波大学ラグビー部のマネージャーが何を思ったのか、練習試合をしてくれると言ったのです。筑波大学医学部ラグビー部ではありません。本物の筑波大学ラグビー部です。早速、次の日に試合をしたのですが、それは試合と言えませんでした。我がチームはボールに触らせてもらえないのです。あっという間に何回もトライを重ねられて、3-97で負けました。
余談ですが、当時、筑波大学はラグビーに力を入れていて、元スコットランド代表で世界的に有名なラグビーコーチ、ジム・グリーンウッド氏を招請していたのです。試合後にグリーンウッドコーチはうなだれている私たちの所に来て一言「Good spirit!」と言ってくれました。良い思い出です。

私は1987年、代表チームレベルで、この時と同じような光景を国立競技場で目にしました。ニュージーランドオールブラックス対日本の試合においてです。オールブラックスの全てのキックはトライに結びつけられ、タックルはかわされ、大人と子供の試合でした。0-94で日本が負けています。それは「試合」とは言えないモノでした。改めて、ラグビーは実力差通りだなと思い知らされました。日本とラグビー強豪国であるニュージーランド、オーストラリア、南アフリカとの力の「差」はそれくらい有ったのです。しかし、それは「4年前まで」はです。

どう考えても、勝てるような相手ではない相手に勝てるようにというミッションを与えられたのが、今大会のエディー・ジョーンズ コーチです。彼は、元はオーストラリアの監督で、W杯で準優勝したのに「優勝出来なかった」という理由でオーストラリアとの契約を切られています。厳しいですね。そのジョーンズ氏が3年かけて作り上げたのが今回のジャパンです。初戦の相手は2年前から「南アフリカ」に決まっていました。南アフリカは「世界一」のオールブラックスに何度も勝っているくらいの強豪です。私は、いくらジョーンズ コーチが名監督でも、「無理だろうな、50点差はついて日本が負けるだろう」と思って、試合当日は寝てしまいました(早朝4時が開始時間)。一生の不覚です!朝、起きたら、エラいことになっていました。エディ ジャパンが南アフリカに勝っているではありませんか!私の中であり得ないことが起きていました。

悔やみながらも何回も試合のビデオを見ました。ジャパンは真っ向勝負をしています。正面攻撃をして、トライを3つも取って勝っています。色々なスポーツを見てきましたが、これほど感動した試合はありません。最後の最後に、南アフリカがペナルティーを犯して、ジャパンはペナルティキックを蹴る権利を得ます。ここで、五郎丸選手がキックをして決まれば3点で、同点どまりで試合終了です。それでも充分凄いことです。しかし、ジャパンはペナルティーキックを選択せずに、スクラム(決まれば5点です)を選択しました。「スクラムを選択する=トライを取りに行く=攻め続ければ試合は終わらない=そしてトライする=逆転する」それを狙っている。この無謀な意図を理解した観客は、その「勇気」を称えて「ジャパン、ジャパン」と言っているではありませんか。それを聞いて、鳥肌が立ちました。そして、最後のトライ成功!
何というか言葉もありません。世界中のTV、新聞などで「あり得ない!」、「ラグビー史上いや全てのスポーツ史上最大の番狂わせ」、「こんなシナリオ書いたら笑われる」、「何かの間違い」と書かれました。W杯開催地の英国中がこの試合の結果に湧いたとも報道されています。それくらい凄いのでした。
一体どうやって訓練したら、南アフリカに勝てるのでしょう。いろいろと報道されていますが、ジョーンズ コーチは「世界一厳しい練習」の賜物だと言っています。早朝5時、6時からの始まる(一日に)3部や4部構成の練習とか、総合格闘技家を呼んでタックルの練習をしたとか……恐ろしいことが書かれています。まあ、それくらいやらないと南アフリカやサモアには勝てなかっただろうと思います。世界を相手にするとは、そういうことだと改めて感じました。
試合をよく見ると、南アフリカの4番の選手と16番の選手(両選手ともフォワードです)の猛烈な突進によるトライが印象的でした。タックルに行った選手ははじき飛ばされています。二人とも体重は120kgを越えています。そういう選手に走らせる機会を与えると止めようがありません。一瞬の隙をついて、100kgを越えた選手が走ってくるのですから恐いです。ほとんどの場面で南アフリカの選手が走りだす前に、ジャパンの選手はハードタックルに行っていました。怖いですね。私もラグビー中のタックルで、鎖骨を一回、指を一回、肋骨を二回折っています。だから、怖さが解かります。

 

ラグビーに力を入れていた神戸製鋼の亀高素吉さんと大村先生

ここから本題、今や強豪国をも倒す日本ですが、今回のチームにも3名の神戸製鋼所属の選手が選ばれています。神戸製鋼といえば、平尾、大八木、林、本木など沢山の名選手を輩出しています。元はといえば神戸製鋼の社長、会長を務めた亀高素吉さんが、社長秘書室長時代からラグビーに力を入れて、先に挙げたような選手を直接口説いて集めたのです。簡単な話ではありませんでした。
また、日本で初めて練習グランドに芝生を導入し、クラブハウスを作り、ラグビーをやるのに素晴らしい環境を整えたのです。そして、亀高社長は、元オーストラリア代表だったイアン・ウイリアムス選手を神戸製鋼に招きます。今でこそジャパンチームには外国人が結構いますが、その先鞭をつけたともいえます。イアンのプレーは異次元でした。イアン以降、素晴らしい経歴を持った外国人選手が日本でもプレーするようになり、今のジャパンの元というか原型を作った功労者の一人だと思います。イアンはジャパン(代表)にも選ばれています。

さて、亀高さんは社長や会長を歴任した後、なんと、72歳で大学に入り直します。彼は神戸大学経済学部出身でした。それがなんと神戸製鋼会長退任後、北里大学の大学院の薬学研究科に入学します。なぜそんなことをしたのかは文献3に詳しいです。
全くの畑違いですから高校の教科書で自習したり、復習・予習やリポート書きを一所懸命行い、ついには薬理学など13教科26単位を3年で取得!その成績は、平均96.5点!だったそうです。お孫さんをも呆れさせるほど勉強していたと、本人が述べています。凄いですね。それから7年にわたり研究生活を送り、計10年で大学院博士課程を終え、論文を4編書いて薬学博士号を取得しています。その時、82歳です。日本最高齢薬学博士号です。

亀高さんは、目の水晶体を特殊なカメラで撮影する装置を開発し、そのカメラで糖尿病性白内障の有無を調べ、お薬で治るかどうかを判明させるという研究をしていました。その北里大学の研究所長が、かのノーベル賞を受賞した大村智先生だったのです。年齢は、亀高さんの方が大村先生より10歳上です。時々、大村所長室を訪れていたそうです。大村先生はこの年上の熱心な高齢学生を尊敬していたのだと思います。そして、またかと思いますが、セレンディピティが大村智先生に訪れます。

当時、大村先生は「亀高文子」という高名な女流画家の「絵」を探し求めていました。当時は既に物故していて、作品が流通していなかったので、なかなか見つからなかったのですね。大村先生も「まさか!と思った」と記していますが、亀高というのは珍しい名前だから、「もしかして、亀高文子さんとなにかご関係がありませんか?亀高文子さんの絵が欲しくて探しているのですが、なかなか見つかりません。」と伝えたところ、亀高素吉さんは「それは、私の母です。絵がどこかに残っているかもしれません。」ということで探してもらい、大村先生は亀高家に残っていた最後の1枚を入手することが出来たのです。今は、韮崎の大村美術館に掛かっています。大村美術館へ行く機会があれば是非、「亀高文子さんの絵」も見てください。そして、退職して勉強して学位まで取った素吉さんのこと、素吉の作った神戸製鋼ラグビー部のこと、ラグビーに纏わる話もついでに思い起こしてくださればと思います。

【参考文献】

  1. 大村智 :2億人を病魔から守った化学者:馬場錬成 著
  2. 人生に美を添えて:大村 智、 小杉小二郎 共著
  3. 日本最高齢で薬学博士号を取得:ファルマシア 45(2), 111-114,
  4. 亀高素吉:新規小動物用in vivo水晶体デジタル画像取得システムの開発並びに糖尿病性白内障予防・治療薬の探索に関する研究:北里大学 博論

【注記】

今回のラグビーワールドカップはイングランドで開催されています。まだ、準決勝、決勝が残っています(2015/10/20時点)。ややこしいのですが、英国(イギリス)とアイルランド(国)には、「イングランド」、「スコットランド」、「アイルランド」、「ウェールズ」とそれぞれに四つのラグビー協会があります。アイルランド(国)は、英国とは別な国ですが、なぜか、英国領である北アイルランドの出身者は、アイルランド協会に属しています(サッカーは違います)。 今回のラグビーW杯でも、イングランド、アイルランド、ウェールズ、スコットランドは別々に参加していますさらにややこしいことに、時々、これらの協会は「ブリティッシュ&アイリッシュ・ライオンズ」という英国3協会とアイルランド(国)協会の統一チームを結成して、オーストラリアや南アフリカ、ニュージーランドに遠征をします。一緒になれば、当然かなり強いのですが、国の威信をかけた大会にはあくまで別々なチームを作って出場します。個々の国単独でも強く、イングランドはW杯で1度優勝していますが、今回のW杯では、開催地でありながら予選で敗退しました。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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