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022:黄金の国ジパングはでたらめなのに… 書き残すことの必要性(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2015/08/10

書き残すことの必要性

書き残すことの必要性について考察したいと思います。
これまで高木兼寛(栄養学)、北里柴三郎(細菌学)、荻野久作(排卵日の発見)、高峰譲吉(アドレナリンの発見)など、日本人学者について書いてきました。これらの方々に共通するのは論文を西洋言語(英語、ドイツ語)で書いていることです。西洋言語で書かないと世界には広まりません。
当たり前ですが、日本語で書かれた論文や教科書を読む西洋人はきわめて少ないです。「入唐求法巡礼行記:にっとうぐほうじゅんれいこうき」を知っている方は少ないでしょう。これは円仁(後の慈覚大師、伝教大師=最澄の一番弟子です。東北地方の有名なお寺:平泉の中尊寺・毛越寺、松島町の瑞巌寺、山形市の立石寺(山寺)の開祖は全て円仁が開祖です)が、遣唐使で唐の国で仏教を学んだ時に書き残した旅行記です(838年から9年間の記録)。
円仁が実際に行って見て感じたことを書いていますから、資料としては一級資料です。しかし、世上有名なのはマルコポーロの「東方見聞録」です。

「黄金の国ジパング」はでたらめなのに

「東方見聞録」は1300年の頃のアジアの見聞録です。日本の部分が有名ですが(黄金の国ジパング!)、日本に関する記述はすべて「でたらめ」です。行ったことも見たこともない国「ジパング」のことを適当に書いているのです。ちなみに、なぜ「ジパング」かというと、元の時代の中国語では「日本国」を「ジーベングォ」と発音していたからです。現代の北京語では「リ゛ー ベン グゥォ」と読むそうです。この「ジパング」がJAPANの元になっているのですね。
閑話休題、中国に関する部分もかなり怪しく、万里の長城や纏足、印刷術や中国の文字について何も書かれていませんので、実際に中国に行ったかどうかも怪しまれています。
しかし、しつこいようですが知られているのはこちらです。
元は古いフランス語で書かれていました。その後、イタリア語やヨーローッパ諸語に翻訳されたので、世界中に広まりました。コロンブス自身の書き込みのある「東方見聞録」が残っています。「黄金にあふれたジパング」を夢見た人も多かったでしょう。

一方、「入唐求法巡礼行記」は今もほとんどの方は知らないと思います。それは漢文で書かれていた事や、長く門外不出だったからです。平安時代、鎌倉時代までは結構有名だったようです。
明治16年に東寺観智院で写本が発見されます。漢文ですから、なかなか広まりませんでした。しかし、今は世界中で読めるようになりました。それは駐日大使をつとめたライシャワーのおかげです。
ライシャワーはフランスに留学していたとき、指導教授から、この「入唐求法巡礼行記」の研究を進められ、英訳しています。そのおかげで今は英語でも読めます。800年頃の中国(唐の時代)の記録として世界的に評価されていますが、東方見聞録ほど広く知られているわけではありません。ちなみにライシャワーは港区白金生まれです(宣教師の子息だった)。
それはさておき、要するに、西洋言語にして書き残さないとなかなか世界には広がらないといういい見本だと思っています。(注:ライシャワーさんは、日本の医療を変えてもいます。彼が駐日アメリカ大使時代、精神を患った人に大腿部を刺され、輸血を受けます。輸血後に肝炎になり終生苦しめられました。当時、輸血は売血によるものがほとんどでしたがこの事件を契機に献血が広まりました。)

なにも書き残さないよりは書き残したほうが良い

しかし、なにも書き残さないよりは書き残したほうが良いという例をここに挙げます。
埼玉県行田市にある埼玉県立さきたま史跡の博物館に展示してある全長75cmの「鉄剣」のことです。通称、「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」、金の象嵌で字が彫られています。 この剣には、「其児多加利足尼、其児名弖已加利獲居、其児名多加」と書かれてあります。多分「其の児たかりあま?、其の児の名は?? 加利獲居」と読めます。
この剣は431年(推定)に制作されていますが、現代にも通ずる漢字で先祖の名前を書き残しています。それが1600年を経ても読めるのですからすごい話です。この剣を見ていると時間がたつのを忘れてしまいます。
ちなみに、この「漢字」の発見はいわゆる“セレンディピティ”です。1968年に発見されていたのですが、この剣は錆びており、ただの「錆びた剣」として10年間、倉庫の中で放置されていました。しかし、一度この剣のレントゲンを撮ってみようと考えた研究員がいました。レントゲンを撮ったら「漢字」が浮かび上がり「錆」を落としたらこのきれいな金象嵌の文字が現れたのですね。レントゲンを撮ってなかったら今でも「錆びた剣」としてそのままになっていたかもしれません。
今は当然、「国宝」です。この漢字が記された剣があるおかげで、少なくとも1600年前、埼玉県行田市辺りには漢字が伝来し、使われていたことがわかります。書き残すことの重要性がよく分かる一例です。

論文を書いてもそれを理解する頭がないと?

話は全く変わります。日本で初めてノーベル賞をもらったのは湯川秀樹です。彼は若い頃全く論文を書かず、指導教官にこっぴどく怒られています。そのため、その指導教官とは生涯疎遠になります。かなり怒られたのですね。でも、怒られたおかげで英文論文(注:日本で発行されている英文雑誌に掲載、それを世界中の物理学者に送っています。送らなければ、ノーベル賞は貰えなかったと思います。英文雑誌とはいえ、日本の雑誌ですから誰も読まなかったでしょう)を書いて、後にノーベル賞を授賞したのですから恨む理由など無いと思いますが、よほど怒られたのでしょう。

その指導教官は八木秀次です。阪大時代に湯川秀樹の指導教授だったのです。
八木と言っても知らない方が多いかと思いますが、日本を含めて世界中ほとんどの家の屋根に八木が考案した「八木アンテナ」が立っています(した)。日本人としては少し誇らしいですね。デジタル放送がメインになるまでは世界中の屋根にこのアンテナが立っている事と思います。魚の骨に似たアンテナです。八木は東北大学時代にこのアンテナを考案し、このアンテナに関する英文論文!や世界特許!を出しています。
日本では評価されなかったのですが欧米では評価されます。しかし日本軍のレーダーには採用されず!英米のレーダーに採用され、そのために日本軍は大変な目にあっていたのは有名な話です。英米のレーダーの性能は「八木アンテナ」によって飛躍的に高まったのです。日本人が発明したこのアンテナを有効利用したのが英米軍だったのは実に情けない話です。原子爆弾の先端にもこの八木アンテナがついています。スミソニアン博物館に行けば原爆の模型があり、このアンテナがついているのを見ることが出来ます。要するに、論文を書いてもそれを理解する頭がないとダメという悪しき見本ですね。

論文や文章を残すことは必要ですが、嘘はいけません

千円札の肖像で有名な野口英世は、その生涯で約200本の英文医学論文を書き残しています。
だから、世界的にも知られていたのですが、30数年前、Isabel Rosanoff Plesset というアメリカの研究者が「Noguchi and His Patrons」という本を書いて野口の論文のほとんどが間違っていたことを示しています。日本語にも翻訳されています。読むと「アメリカでの野口英世の現在の評価」がわかり、千円札を見ると一寸複雑な気分になります。何れにせよ科学ですから仕方がありません。

論文を書き残すことは必要ですが、「嘘」や「ごまかし」で塗り固められた論文は後にきちんと断罪されます。「背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか? ウイリアム・ブロード (著), ニコラス・ウェイド (著)」という本があり、この本には野口英世も出てきますが、実に多くの科学者が「論文捏造」をしてきたかわかります。それもこれも「論文を書かないと業績にならない」「論文を書いて歴史に名を残そう」などと考えるからこういう捏造論文が出てくるのだと思います。論文や文章を残すことは必要ですが、嘘はいけませんね。

参考文献をいくつか挙げます。
インターネットが普及して色々な論文が読めるようになっていますが、何故か日本人が書いた歴史的論文を読むことは容易ではありません。あまり紹介されていないからです。伝記は沢山書かれているのですが、論文、原典の紹介はあまりというかほとんどなされていません。読むのが面倒、読んでもわからない?どうせ読まないだろう。そういう理由で紹介されていないなら残念です。
コールタールをウサギの耳に塗って世界で初めて発がん実験に成功したドイツ語で書かれた山極、市川論文も見つけられませんでした(世界中で使われている癌の教科書には必ず引用されています)。
北里柴三郎記念館や野口英世記念館のHPからも、彼らの論文は読めません。もうとっくに著作権も切れています。是非、論文をPDFファイルにして広く知らしめた方が良いだろうと思っています。
ちなみに高木兼寛先生の論文は東京慈恵会医科大学のリポジトリーから読むことが出来ます。
欧米では論文は元より、西欧語で書かれた古い本も依頼電子出版形式で安価に読めます。
参考文献5の「医学の古典をインターネットで読もう」には、インターネットで読める古典的、基本的医学西欧語論文が沢山紹介されています。日本も見習うべきです。あの先生はこういう風に偉かったとかこういう生涯だったとか、そういう伝記に私はあまり興味がありません。論文の方を読みたいです。

【参考文献】

  1. 円仁著「入唐求法巡礼行記:現代語訳」:中公文庫
    ライシャワーが英訳した本「Reischauer, Edwin O. (1955). Ennin's travels in T'ang China. New York: Ronald Press Company.」
  2. 野口英世 単行本 イザベル・R. プレセット (著), 中井 久夫 (翻訳), :星和書店刊
    元は「Noguchi and His Patrons」と言う題で米国で刊行された。
  3. 高木兼寛の論文:LANCET掲載
    http://ir.jikei.ac.jp/bitstream/10328/1754/1/49-2-69.pdf
  4. 荻野久作著:「Conception period of women Unknown Binding - January 1, 1934 by Kyusaku Ogino」
  5. 医学の古典をインターネットで読もう:諏訪邦夫著 中外医学社刊
  6. 背信の科学者たち 論文捏造はなぜ繰り返されるのか? 単行本 - 2014/6/20
    ウイリアム・ブロード (著), ニコラス・ウェイド (著), 牧野 賢治 (翻訳)
  7. 私が書いた英文論文の一つです。
    http://www.annalsthoracicsurgery.org/article/S0003-4975%2899%2900056-9/abstract
    私自身の心電図が載っています。私が死んでも心電図は残りますね(笑)。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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