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017:世界で一番有名な日本人医師(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2015/05/11

日本人医師で世界中にその名前が広く知られている先生と言えば誰だと思います?

山中伸弥先生ではありません。一般人はYAMANAKAの名前さえ知らないでしょう。それは多分、世界が無知なのではなくて、山中先生と一緒にノーベル賞を受賞した先生の名前:ジョン・ガードンを(恐らく)一般の日本人の9割以上は知らないのと一緒です。野口英世先生の名前も世界中とまでは知られていません。
しかし、私がこれから書こうとする医師の名前を知っている外国の方(特にカトリック信者)は多いと思います。
その名前は「Ogino」です。Ogino は、荻野久作先生のことで、新潟の開業医の先生です(1882-1975)。

彼は東大卒業後3年で、経済的理由から新潟の開業医竹山病院の産婦人科部長として赴任します。部長といっても部下はいません。
大学卒業してまだ日が浅いので、夜はひたすら勉強していたと伝記にあります。
新潟で「不妊」で困っている患者さんや逆に「子だくさん」で困っている家庭の窮状を見ているうちに、排卵日が解れば「不妊治療」も「避妊」も出来るだろうと考えるようになったと後に述懐しています。

排卵は、月経開始日から計算して14-16日に生じる?

さて、彼の偉大なる発見です。それまで、排卵日については「シュレーダー学説」が当時の主流だったのです。それは、「排卵は、月経開始日から計算して14-16日に生じる」という説でした。つまり、月経があり、それに伴って排卵が生じるという説です。
しかし、荻野先生は、その説では説明がつかない事が多いことに彼は気づきます。
そこで、患者さんに協力をお願いして、月経の開始日、性交日、妊娠の有無をカレンダーに記入してもらい膨大なデータを集めます。
ご自身のデータも集めています。大正初期にそういうデータを集めるのは容易ではなかったと思います。今でも簡単では無いでしょう。
とても親切で患者さんの話を良く聞く、優しい医師であったので、皆さんが協力したと伝えられています。
しかし、いくら根気強く膨大なデータを集めてもはっきりとした事はわかりませんでした。
ところが、偶然の神様が彼にも訪れます。

「ハナ」さんという不妊患者さんの診療をしていてある事に気づいたのです。
この患者さんは生理不順も無く、子宮にも異常がありませんでした。それでも子供が出来ませんでした。「ハナ」さんの話では「月経が始まる2週間前に決まって腹痛が数日は生じるので、その時に性交はしていない」と言ったのです。
そこで彼は腹痛は排卵痛と考え、その時期に妊娠がしやすいと考え、「お腹が痛い時に性交をしてみないか」と伝えたところ、その一ヶ月後見事に妊娠したのです。ちょうど、ドイツ産婦人科学会雑誌に「月経と排卵痛」に関する論文が発表されていて、それを読んでいたから思いついたのです。これも前稿のリンガーのセレンディピティに通じます。

この「ハナ」さんの経験と開腹手術69例の卵巣、黄体の観察、黄体の状態と手術後の月経開始時期の詳細な観察から、それまで「月経→排卵」と考えられていたのが間違いで「排卵→月経」が正しく、次の月経予定日より12-16日前に排卵が生じていると思いついたのです。すごいですね!
さらにすごいのは、例のカレンダーを見なおして、月経前12-16日に性交していた患者さんの多くが妊娠している事を確かめたことです。
同じデータを見ても、見方を変えると全く違って見えるという良い見本です。

3年の歳月をかけて118例の検討を行い、1924年(大正13年)に論文「排卵の時期、黄体と子宮粘膜の周期的変化との関係、子宮粘膜の周期的変化の周期及び受胎胎日に就て」を完成させ、「日本婦人科学会雑誌」に発表しています。その結論は「婦人の排卵期は月経の長短に関わらず、次に来る月経の12-16日前に生じる」です。「排卵があって月経が生じる」という今では世界中の常識になっていることをこの論文で世界に先駆けて初めて示したのです。なお、この論文の118例中1例はご自身の例です。

広めたかった「妊娠のための方法」ではなく…

1929年(昭和4年)6月、ドイツに留学し、 1930年(昭和5年)2月22日にドイツの『婦人科中央雑誌』(1930年第22巻2号))に『排卵と受胎日』を発表しています。内容は日本での発表内容と一緒です。そこから世界中にOgino(荻野)の学説が広まります。
しかし、結果は、荻野が広めたかった「妊娠のための方法」ではなく、それを逆手にとった「避妊法」として広まったのです。
カトリックは避妊を認めていませんでしたので人工的な方法を使わない荻野の方法はカトリック信徒の間に広まります。
1934年には「CONCEPTION PERIOD OF WOMEN」と言う英語の本を出版し(図1)、密かなベストセラーになります。
荻野先生は自身の研究成果を世界に広めるためには英訳して世に出すことが必要と考え、東大の別の先生に英訳をお願いし完成させました。(荻野先生は独語には長けていたようですが、英語力は論文化するまでには至らなかったようです。)

CONCEPTION PERIOD OF WOMEN
図1「CONCEPTION PERIOD OF WOMEN」の表紙

結局、 1968年にローマカトリック協会がオギノ式避妊法を認めることにつながります。
それまでカトリック教徒は避妊が認められていなかったので福音となりました。今でもローマカトリック教会が公式的にみとめる避妊法は「オギノ式」と「ビリングス法(膣から流れ出る子宮頚管粘液所見から排卵日を予測する方法)」だけです。
自身の本意とは異なった形で功績が認められた荻野先生は、「避妊ではなくて不妊治療に使うべきだ」と後々も主張していました。

実は、荻野先生はその他にも多くの論文を残しています。子宮頸がんの手術方法もその一つで、「荻野術式」として知られています。
大正10年から昭和26年に行った子宮がん手術674件の5年生存率は61.1%と驚異的な数字でした。
少しでも消息がしれない患者さんがいると本籍や現住所に確かめて生死を確かめているので正しい数字だと思います。
日本中の大学から教授への招請が続きましたが、荻野先生は92歳でお亡くなりになるまで終生、新潟の開業医として暮らしています。偉大な一生でした。

全ては「ハナ」さんの話に耳を傾けた事と排卵痛に関する論文を読んでいた事から始まっています。いかに観察し、検討すること、考える事、勉強している事が大切かわかります。高峰譲吉、リンガーに続き、荻野先生の話も共通していますよね。

皆さんも研究者でなくとも、これまでの目線や思考を変えて仕事をしてみては如何でしょうか?何か発見があるかもしれませんよ!

最後に医学的に言うと「安全日」はありません。どうかお気をつけください。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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