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011:『百人一首』は宇都宮が起源?AKB48の起源は平安時代から?(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2015/02/02

1月が終わってしまいしたが、せっかく(?)ですので今回もお正月に因んだ話をしたいと思います。
新年の行事は色々とありますが、中でも「かるた」大会は昔から続く行事として有名ですね。滋賀県の近江神宮では1月の第二週に全日本かるた協会が主催して「かるた名人」、「かるたクイーン」決定戦が行われます。時々、その映像がテレビで放映されます。上の句を少し読んだだけで電光石火の如く、かるたを競い合って弾き飛ばしている風景を見た方も多いのではないでしょうか? 近江神宮は『百人一首』の1番目の和歌の作者である天智天皇を祀っているので、その縁で「かるた大会」が行われているのでしょう。

「秋の田の 仮庵(かりほ)の庵(いほ)の苫(とま)をあらみ
 わが衣手(ころもで)は 露にぬれつつ」

これが『百人一首』で第一番の歌です。これしか覚えていない方も多いのではないでしょうか?私もこの歌と他に数首しか覚えていません。

「カルテ」の由来はかっこつけ?

カルテ

「かるた」は、ポルトガル語の「カルタ(carta:ポルトガル語)」 から来ています。カルテ(Karte:ドイツ語)、カード(card:英語)、カルト(フランス語:carte)は、ラテン語のchartaを語源として、どの言葉もいわゆるカードを意味します。
実は、ドイツでは“カルテ”は医師が診療を記録する紙を意味しません。明治時代、ドイツに留学した日本人医師が、ドイツの医師がカード状の紙に診察記録を書いているのを見て、診療記録用紙の事をかっこつけて「カルテ」と使い始めたのだと言われています。それが今に至るまで使われている訳です。
先日、床屋さんにも「カルテ」があるのを発見しました。お客さんの髪の毛の性質やこれまでのカットデータ(?)が大きく「○○様のカルテ」と記したノートに書かれていました。昔、ヨーロッパでは理容師(床屋)が外科医も兼ねていてために床屋の三色サインポールは、赤:動脈、青:静脈、白:包帯かリンパ液を表すなんて説も有名ですが、そんな床屋さんでカルテなんて関係もあるのでしょうか?いずれにしても、こんな所にまで明治時代にドイツ留学した医師の“誤用”が影響しているのだとは…… 床屋さんと外科医の関係はかなり深く、この話はまたどこかで書こうと思います。

全日本かるた協会が使用する「かるた」は『小倉百人一首』です。『百人一首』を使った「競技かるた」があり、段位が無段から10段まであります!上述のごとく「名人戦」や「クイーン戦」があります。段位は各地で行われるかるた大会で良い成績を修めないと上がりません。将棋や碁と一緒です。
『百人一首』とは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍活動した公家で歌人だった藤原定家が、天智天皇から順徳天皇までの約550年の間に、貴族や歌人たちの間で詠まれた和歌の中から100首を選んだのが基です。

各地で「歌」を作って競い合う

餃子の街「宇都宮」

さて、今回のタイトルにもつけた餃子の街、「宇都宮」です。この100首の歌の選定を藤原定家に依頼したのが、現在の「栃木県」にあたる「下野国(しもつけのくに)」を治めた経歴を持つ「宇都宮家の第五代当主宇都宮頼綱(よりつな)」だったのです。
頼綱は源頼朝から謀反(むほん)の疑いをかけられ出家し、京都に移り住みます。そして、京都の嵯峨野にある小倉山に居を構えます。宇都宮頼綱は有名な歌詠みでもあり藤原定家とは仲が良く、子供同士が結婚もしています。頼綱は定家に頼み、小倉山に構えた自分の屋敷の襖(ふすま)に和歌を100首書いてもらいます。それが「小倉百人一首」なのです。このときに定家が書いたのが「小倉色紙」です。残念な事に本物は残っていないようです。
定家が活躍した鎌倉時代初期には「京都歌壇」、「鎌倉歌壇」があり、京都も鎌倉もそれぞれ、和歌が盛んでした。そういう時代に宇都宮頼綱とその仲間が下野国宇都宮で盛んに歌を作ったので「宇都宮歌壇」と呼ばれています。当時から各地で「歌」を作って競い合っていたのですね。音符があったわけではないのでどのように詠まれたかは不明ですが、何らかの節回しでもって歌を詠んでいたらしいのです。恋の歌は恋の歌らしく、非歌(エレジー)は非歌らしく、そう言う節回しで持って歌われていたらしいです。今の時代でいうAKB(秋葉原)、SKE(栄)、NMB(難波)、 HKT(博多) と同じような事が、すでに800年前にもあり、AKB、SKE、NMB、HKTはそういう伝統を保っていると言えるかもしれません。(秋元康さんはそこまで考えているのかもしれません。)
「京都歌壇」や「鎌倉歌壇」で詠まれた歌とは比べるべくもないですが、それでも「宇都宮歌壇」発の歌は1100-1300年の200年間に16人、119首が新勅撰和歌集や新古今和歌集に選ばれています。そういう下地を作った宇都宮頼綱ですから藤原定家とはウマが合ったのでしょうね。

余談ですが、『百人一首』の歌の約半分は恋の歌です。小学生や中学生には一寸どうかなというような歌も多いですね。例えば、

君がため 惜しからざりし 命さへ  長くもがなと 思ひけるかな (藤原義孝)
しのぶれど 色に出にけり わが恋は ものや思ふと 人の問ふまで  (平兼盛)

などです。

それはともかく、日本では古来、一般庶民から天皇まで、都でも田舎でも、おおらかに「歌」を楽しんでいたこと事が伝わってきます。これは世界に誇って良い文化だと、私は思います。

おまけ: 京都嵯峨野小倉山にはその名に由来するある有名な物があります。それは「小倉餡(おぐらあん)」です。「小倉餡」の命名由来ですが、中国から持ってきた小豆(あずき)を小倉山の地で栽培し、そこから作られた餡子を「小倉餡」と呼び習わしたのがその始まりで、現在は小倉山とは関係無くても「小倉餡」、「小倉アイス」と「小倉」の名前が使われています。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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