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たばこと日本文化

ポルトガル渡来のたばこ

初めは薩摩の指宿に入り、やがて長崎へ伝わり、宝暦年間(1751~64)に浦賀に入って全国に普及しました。

江戸の風俗として定着

当時、たばこは相思草、返魂草などと呼ばれ、初期には刻みを巻いて吸っていましたが、ポルトガル人がきせるを伝え、独特のたばこ文化を生み出しました。きせる、たばこ入れ、たばこ盆といった道具は、社交の道具、粋な装身具として発達し、江戸時代の風俗を語るに欠かせないものとなります。その定着ぶりは、数々の浮世絵(鈴木春信「おせん茶屋」など)や歌舞伎にうかがうことができます。

紙巻は文明開化のシンボル

明治時代を迎えると、新しい欧米の文化と共に文明開化のシンボルとして紙巻きたばこが流入しました。日本では岩谷商会、村井兄弟商会による「天狗印」「ヒーロー」などの国産紙巻が人気を集めます。
日清・日露戦争がぼっ発すると、たばこは戦費調達のために使われ、後の太平洋戦争に際しては恩賜(おんし)のたばこが兵士に配給されるなど、たばこは国策と深く結びつくようになりました。
1904年には、たばこ製造販売の専売制が施行されます。
1906年には両切りの「ゴールデンバット」が発売され、現在も続くロングセラーとなっています。